本質への渇望が、AIの未来を拓く。吉田 利雄が描く「持続可能な信頼」Trust in AI

Interview article | 2026年9月4日
この記事は約10 分で読めます
企業は今、AIがもたらした利便性の先にある理想と現実のギャップに直面している。爆発的に増えるデータを処理するために膨大な電力を消費し続ける代償は、膨らむコストと資源制約というビジネスリスクに転嫁しつつある。高性能かつ低消費電力を両立させる、AI時代の新たなインフラがなければ成長も変革も滞りかねない。
こうしたAI時代の根源的な課題に対し、一つの解を提示しようとしている男がいる。富士通で、高性能かつ省電力性をAI向けに追及したMade-in-Japan CPU「FUJITSU-MONAKA*1」の開発を率いる吉田 利雄。彼の挑戦は「Trust in AI」の一要素である「持続可能」を実現することだ。その原点は本質への飽くなき探求心にあった。
Trust in AIとは?
Trust in AIとは、AIが急速に進化するなか、人が把握し、制御し、責任を持ち、システムや運用、ガバナンスまでのすべてのレイヤーに「信頼」を組み込む考え方です。Explainable(説明可能)、Secure & Ethical(安全・公正)、Sovereign(ソブリン)、Sustainable(持続可能)、Connected(接続)の5つの要素を通じて、人・企業・社会が安心してAIを活用できる未来を目指しています。
本シリーズ「AIの未来を描く人々」では、Trust in AIを支える技術に携わる”人”の原体験や価値観を通して、各技術がどのような課題意識から生まれ、どのような未来を目指しているのかを紹介します。

好奇心が切り拓いたCPU開発の世界
「CPUは甘くないぞ。これを3日で読んで、感想を聞かせろ」。当時CPU開発責任者の上司は、覚悟を試すかのように分厚い仕様書を渡して告げた。
CPUの開発拠点を米国から日本へ移すというプロジェクトが立ち上がった時。CPU開発に本格的に携わったことすらなかった当時20代半ばの青年は自ら手を挙げ、無謀とも思える挑戦に身を投じた。
金曜の夜に渡された仕様書は300ページを超える技術文書。常人ならば途方に暮れる課題だ。だが、青年は土日で全てを読み込み、レビューまで終えると火曜日を待たずして月曜の昼に上司の元へ向かった。「読み終えました。この技術は素晴らしいが、ここには課題がある」。彼の情熱と本質を見抜く力は即座に認められ、CPU開発の中枢へと足を踏み入れた。吉田とCPUの旅路はここから始まった。
よりどころは「本質への執着」
埼玉県に三兄弟の末っ子として生まれた。6つ上と4つ上の兄の背中は常に彼の目の前にある目標だった。兄と空手道場に通い、必死に食らいつこうと考え、行動する。負けず嫌いと絶え間なき自身への問いが、本質を突き詰めようとする生粋の性質をさらに育んでいった。
東京都内の自由で、個を大事にする校風で知られる高校に進学すると、興味の赴くままに数学と物理の世界に没頭した。興味のない教科のテストの点数は一桁、赤点の数も気にしない。吉田にとって重要なのは、表層的な知識を暗記することではなかった。「人の言うことは変わる。考えも時々によって変わる。それがどうにもしっくりこなかった」「古典物理ではわずかな法則で全ての現象を説明できる。科学という普遍的なものに高校の時に触れて面白いなと思った」。どれだけ複雑なものでも本質を突き詰めれば解を見いだせる。探し求めていた、揺るぎない「よりどころ」を手に入れた。
大学では理論物理学を専攻し、当初は学者として世界の真理を極める道を志した。やがてより広い世界を求めてアカデミアを離れることを決意する。理論物理しかやってこなかった学生に就職先は多くない。そんな中、偶然にも声をかけてくれたのが富士通だった。コンピュータなんてほとんど触ったこともなく、ましてCPUは聞いたことがあるかどうかという手探り状態で、未知の世界へと足を踏み入れることになる。
スパコン「京」、「富岳」で得た手応え

1年目はCPUの周辺を構成するパーツを担当した。「周辺をやれば全体も見える。ここでコンピュータとはどんなものかを1年かけて理解しようと思った」。1年かけてわからなければ辞めてもいい。本気でそう考え、本気で吸収していた2年目に経験したのが、当時のCPU開発責任者の上司による厳しくも愛のある「選抜試験」だった。
CPU開発は苦労が絶えなかったが、何より楽しかった。20代半ばの若き技術者は夜ごと、10歳ほど年上の先輩と飲み交わした。若者が語る夢に静かに耳を傾け、そっと背中を押してくれる。「これをやっておけ」という一方的な押し付け文化ではない。そんな懐の深い環境が吉田の性格にカチッとはまった。
やがてスーパーコンピュータ「京*2」の開発に携わり、多くの同志と共に処理性能ランキングで世界一を達成した。吉田の視線はすでに次のスパコン「富岳*3」、さらに今につながるグローバルスタンダードを見据えていた。水面下で進めたのが、当時、スマートフォンを始め様々な機器に向けたCPU回路図を供給するビジネスを展開していた英Arm社との極秘の協業交渉だった。
文化も言語も違う相手に日本の技術の価値を説き続ける日々。グローバルスタンダードを目指す決意で交渉を続け、約3年の歳月を経て、ついに相手の心を動かす。その証はグローバル企業がこぞって最新のチップテクノロジを発表する米国の半導体学会「Hot Chips」での一幕に現れた。Armの発表枠の最後の3分間、シークレットゲストとして登壇した吉田は力強く宣言した。

「ポスト『京』*4の心臓部であるCPUは、富士通が設計した新しいArmプロセッサである」
「私のCPUの詳細は2年後に発表する。またここに戻ってくる」
スマートフォン向けの省電力CPU――当時、世間ではそんなイメージが強かったArmを世界最高峰のHPCの舞台に主役として一気に引き上げた発表は、世界の半導体業界に大きな衝撃をもって受け入れられた。
AIの進化、半導体の役割
「京」の成功には反省もあった。日本にこだわるあまり、多様な開発者が使えるようなエコシステムが不十分だったのだ。グローバル標準に乗っかるだけではなく、標準そのものをつくらないといけない。巨大IT企業との対話を通じて実現のためのヒントを探るうち、吉田はある現実に気付く。彼らが描く壮大なサービスの構想も、結局は半導体の性能と電力効率によって限界が決まっている、と。


「AIを誰もが使える時代が来る。その時、AIのインフラはどうあるべきか」
経済安全保障の重要性が増すにつれ、とりわけエンタープライズ領域ではデータを手元に置きたいという需要が確実に増していた。クラウドとの往復通信時間も、短ければ短いほど生産性は高まる。「高性能で、低消費電力。データを安全に扱え、競争力のあるコストでなければならない」。来るべきAI時代に必須となるこの4つの条件を全て満たすことが本質だと考えた。
その思想を結晶化したのが、吉田が開発を率いる新型CPU「FUJITSU-MONAKA」だ。
無理なく長く使い続けられることはインフラとしての絶対条件だ。圧倒的な低消費電力性能は、AIの利用コストと環境負荷を劇的に下げる。人間の業務を複数の専門的なAIエージェントが協調して動く「エージェンティックAI」時代を見据えるとセキュアな環境も欠かせない。この問いには、利用者のデータをシステム管理者でさえ見ることができないようにハードウェアで暗号化する技術で応える。これにより、サイバー攻撃のリスクや内部不正から機密情報を守り、エージェントが安全にデータを扱える環境を創り出す。
「AI時代の半導体の役割はがらりと変わった。まだこれからも変わり続ける」。AIの発展は膨大なデータからの「学習」と、学習済みのモデルを使う「推論」が支えている。AI学習基盤は大規模LLMを扱うためにGPU(画像処理半導体)を活用してきたが、今後、小・中規模LLMで効率的かつコストを抑えて推論処理できるCPUベースのインフラへの期待が高まるとみる。推論だけではなく、データ処理やアプリケーション連携。システム全体を支えるCPUの役割がどんどん広がる未来を見据え、「FUJITSU-MONAKAにも当然そういう機能を入れるし、FUJITSU-MONAKAの次のモデルFUJITSU-MONAKA-Xではさらに強化しようと考えている」と展望する。
「持続可能な信頼」の確立に挑む
「FUJITSU-MONAKAは『Made-in-Japan CPU』と呼ばれるが、日本のためだけのものではない」。世界が地政学的な課題に直面する今、ニュートラルな日本の技術への引き合いが強まる可能性は高い。AIの限界を押し広げるエンジンとなり得る新型CPUは2027年の出荷開始に向け、開発の最終段階を迎えている。
「性能も大事、電力、コストも大事。信頼ももちろん。それぞれのバランスがさらに大事になる」。物理法則という普遍の理を追求した少年は時を経て、半導体の本質を究める技術者となった。今、吉田が向き合うのはAIの根幹を成す「信頼」の本質だ。イノベーションによって社会に信頼をもたらし、世界をより持続可能にしていく。そんな未来を実現するための旅路は当分終わらないし、終えるつもりもない。


*1 この成果は、NEDO (国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構) の補助事業の結果得られたものです。
*2 理化学研究所と共同で開発
*3 理化学研究所と共同で開発
*4 ポスト「京」とは、2016年時点で富岳の前身として呼んでいた名称。
関連コンテンツ

「Trust in AI」を変革の起点に
―持続可能な成長と未来を共創する―


