富士通の歩み(沿革)(1971年~1980年)
1971年
米アムダール社に資本参加
日立と次期計算機開発で提携
1972年
シンボルマークを変更
(シンボルマーク 1972年〜1988年)
青色の「平和」、赤色の「情熱」、白色の「純潔」というコンセプトのもとで制定。
1972年1月
ビジネスリーダーの育成を目指し、ハワイに「日米経営科学研究所(JAIMS)」を設立
1974年11月
汎用機「FACOM Mシリーズ」を発表
1975年
海底同軸ケーブルシステムを日本で初めて輸出、西独~スウェーデン間(210km、1200ch)を開通
1977年8月
日本初のスーパーコンピュータFACOM230‐75 APU完成
1979年4月
汎用コンピュータで漢字を扱える世界初の日本語情報システム「JEF」を発表
1980年3月
コンピュータ売上高で国内トップに躍進
1980年5月
日本語ワードプロセッサ「OASYS 100」を発表
1980年6月
富士通研究所、超高速半導体素子HEMTを発表
ピックアップ
富士通の歴史がより深くわかるバーチャル博物館です。
富士通はその黎明期から通信網をはじめとする社会インフラを支える会社として発展してきました。ここでは富士通の歴史を主要な転換点を中心にご紹介します。
創業以来、富士通の歴史を飾った名製品の数々をご紹介します。