コンピュータ黎明期の熱き魂を未来へ 「3. 先人の魂を受け継ぐ」
継承者の皆さんがこのプロジェクトを知るきっかけは、何でしたか? また、どうしてやる気になったのですか?
児玉:
2006年の春、上司から「リレー式計算機の技術継承プロジェクトをやるから、参加してみないか」と言われて参加しました。以前から池田さん、竹中さん、佐藤さんがリレー式計算機の保守を継続していることは知っていました。社内でこのOB3人は、伝説的な人たちとして知れ渡っていましたから。
二瓶:
私は自分から手を上げました。エンジニアをやっているなかで、その原点に触れてみたいと思ったのです。今の機械は図面が読めなくても直せるし、理論的なことをそれほど知らなくても何とかなりますが、昔の機械はそうはいかない。古い機械は、回路を追いかけて不具合の原因を自分で突き止め、特定しなければ直せません。そこが今とは大きく違うのです。
しかし、新入社員教育で沼津工場の池田記念室を見学したとき、展示されていたリレー式計算機に感動しましたが、まさか自分が保守することになるとは思いませんでした。
濱田:
私は、当初の継承者の一人が仕事の都合で継続できなくなった代役として参加したのが始まりです。リレー式計算機はいまのコンピュータと用語や記号がまったく違うし、何より私は回路図が全然読めません。まずはその勉強からと、3人で資料を読みながら勉強会をしました。しかし当初は、OBの方々へ質問することさえ出来ませんでした。でも今、少しずつOBの人と同じ言葉(専門用語など)を使って、同じレベルで会話をすることが出来るようになってきたのが嬉しいですよ。
OBと一緒に仕事をすることで、何か得たものはありますか?
児玉:
昔の機械は取り替えが利かない、何があっても修理しなくてはならない、ということがよくわかりましたね。一方で、われわれ現代のエンジニアは、悪いところがあればユニットごとチェンジするということから「チェンジニア」などと皮肉られたりします。しかし、このプロジェクトで学ぶのはまさに職人技、完全に理論が頭に入っていないと、どこから手を付けたら良いのか絶対にわからないのです。まさに聖域に足を踏み入れている感があります。 今の職場は広島ですが、定期保守には何がなんでも飛んでいくぞという意気込みでいます。
二瓶:
OBの皆さんは、自分の仕事や、自分たちが作ったものに対する誇りや責任感が人一倍強い。どんなに小さな部品でも本当に大事に扱っています。なにげない作業と見えることが実はどれほど大変で凄いことなのかなど、毎回、教えられることばかりです。その一つひとつを継承し、回路図や設計図を理解して自分たちだけで保守ができる、そこまで到達しなければ、と思っています。
濱田:
われわれの仕事は、技術とか知識を継承すると言うより、OBの「頭の中」「熱い想い」を継承することなのだと、いまは思っています。マニュアルだけでは表わしきれないことがあるんです。ですから、皆さんにはいつまでも元気でいていただきたいです。定期点検や定期保守のときに、OBの方が時間通りに現れ、元気なお顔をみると本当に嬉しくなります。
若い人たちに知識と技術をバトンタッチする難しさはありますか?
池田:
リレー式計算機にはコンピュータ上の加算とか減算の理論が不可欠で、その理論を教えるのには大変な時間がかかります。機械の回路とは理論通りに作られているから、理論がわからないと保守なんて出来ません。しかし、これを覚えるとコンピュータというものがよく理解できるんです。
佐藤:
とはいえ、毎日リレー式計算機と向い合って格闘していた自分たちに比べると、彼らは自分たちの定常業務を持っていますし、定期点検で3ヶ月に1回しか実際にリレー式計算機に触れることがないのですから、覚えるのは大変だと思います。
竹中:
それに、リレー式計算機の論理回路図は100枚以上あるんです。そのすべてを若い人に教えるのは不可能です。でも、基本的な回路さえ理解し覚えれば、あとは自分たちで研究しながら出来ますよ。パターンがあるので応用が利くんです。
佐藤:
彼らも言ってましたが、今の機械は、故障したらパッケージごと、ユニットごと交換しますが、リレー式計算機は違います。自分で不具合の箇所を見つけて、自分で直すしかないんです。そこが今の保守と大きく違うところです。まずは、彼らが独り立ちできるように、我々は協力を惜しみませんよ。我々も楽しいのですから。
池田:
今、参加している若いメンバーは本当に熱心に勉強してくれていますよ。時間はかかると思いますが、我々はとても期待しています。
2008年9月末、半期に一度の報告会のため、プロジェクトのメンバーはじめ、プロジェクト事務局、沼津工場・川崎工場の総務スタッフ(総勢15名)が川崎工場に集まり、飯田経営執行役も顔を見せた。コンピュータの黎明期に培われた技術と見識を未来に繋げていけるのも、多くの人びとの協力あってこそと、この技術継承プロジェクトに参加できたことを全員が誇りにしている。きたるべき未来の技術者たちから、あのプロジェクトこそがエポックメーキングだったと評価されるよう、これからも地道に、しっかり活動を続けていこうとする静かな熱意が笑顔にも表れていた。
プロジェクトメンバー
(濱田さんは都合により集合写真には参加できませんでした)
OB
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池田洋一氏
2005年 富士通特機システム株式会社 退職
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佐藤靖夫氏
2002年 富士通特機システム株式会社 退職
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竹中一生氏
2000年 株式会社富士通エフサス 退職
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小平昭次氏
1997年 富士通オートメーション株式会社 退職
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伊東勝己氏
2007年 富士通アイソテック株式会社 退職
現役
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児玉豊氏
1989年 富士通特機システム株式会社 入社
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濱田忠男氏
1988年 富士通特機システム株式会社 入社
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二瓶健一氏
2001年 富士通特機システム株式会社 入社


