変革と信頼の好循環を生む経営:AIと持続可能な未来戦略

紺色の背景に手と色とりどりの紙吹雪

Article | 2025年6月5日

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AIの急速な進化に、私たちはどう向き合うべきでしょうか。技術は進化しても、企業は信頼を得られているでしょうか。AI、脱炭素、社会的責任――変化の時代に、経済性と社会性をどう両立するかが問われています。
しかし、ネットポジティブ経営*1はいまだ理念的と見なされがちであり、AI活用にも慎重な姿勢が根強く残ります。いま問われているのは、「AIの変革力を社会的価値の創出にどう結びつけるか」、そしてその先にある「信頼の好循環」をどう生み出すかという視点です。
本稿では、企業がこの好循環を実現するために必要な三つの実践的な視点を提示します。これは、理念を実行可能な戦略に変え、AI時代にふさわしい、持続可能で信頼される経営を目指す出発点です。

*1 社会や環境への影響を単に抑えるのではなく、積極的にプラスの価値を生み出すことを目的とするネットポジティブという考え方に基づき、社会的・環境的な価値の創出を事業の中心に据える経営方針やビジネスモデルの実践を総称したもの。

1.はじめに:企業経営に突きつけられる二重の要請

今、企業経営はこれまでにないほど複雑で難しい局面を迎えています。

環境対応や脱炭素などの持続可能性への取り組みに加え、地政学リスクやパンデミックといった予測不可能な変化にも備えなければなりません。つまり、これからの経営においては、経済的成果に加えて、社会や環境にどのようなプラスの影響をもたらすかという視点が、より一層重視されていくと見られています。

一方で、AIを中心とした技術革新は想像を超えるスピードで進み、業務の効率化や新しいビジネスモデルの創出、競争力の強化といった面で大きな可能性を切り開いています。

なかでも注目されているのが、AIを単なる技術として導入するのではなく、経営戦略や組織、人材、データ活用に至るまで、企業全体を再構築していく「AI変革(AI Transformation)*2」 の動きです。
特に、自然な文章を生成し、複雑な問いにも対応できる生成AIの登場は、業種や企業規模を問わず、多くの企業にとって最重要テーマとなっています。

さらに近年では、AIが単なるアシスタント機能にとどまらず、自律的にタスクを実行する「AIエージェント」へと進化しつつあり、AI変革はますます経営戦略の中核的存在となっています。

しかしその一方で、こうした技術の急速な進展は、プライバシーの侵害、雇用の喪失、説明責任の欠如といった新たな課題も生み出しています。こうした懸念は、企業が真剣に向き合うべき責任であり、もはや無視できないリスクとなっています*3。
つまり、AIによる成果を最大化するためには、倫理的な配慮や信頼の構築、そして「社会的了解(SLO: Social License to Operate)」の了解を得ることが欠かせません。

こうした背景のもと、企業の持続可能性に向けた新たな経営アプローチとして、「ネットポジティブ経営(Net Positive Business)」が注目されています。
この考え方は、企業活動による社会や環境への影響を単に抑えるのではなく、積極的にプラスの価値を生み出すことを目的とするもので、従来のCSRやコンプライアンスを超える戦略的な枠組みです。

とはいえ、現場ではネットポジティブ経営が依然として理念的・抽象的と見なされ、「追加コスト」や「経済合理性との乖離」といった懸念も根強く存在します。

本稿では、AIによる経済価値の創出と、ネットポジティブによる社会的価値の追求を対立概念としてではなく、経営統合戦略として再構築する視点を提示します。企業が直面するこの「二重の要請」を整理し、それに応える新たな経営のあり方を探っていきます。

*2 「AI変革(AI Transformation)」とは、AI技術の導入をきっかけに、業務プロセスの再設計や組織構造の見直し、意思決定の高度化、人材戦略の再構築など、企業全体にわたる構造的な変革を指す。
*3 ナオミ・ハダツキほか (2023年12月) 「AIトラストと対話型生成AIにおける富士通のAIトラスト技術」

2.誤解の構造:経済価値 vs 社会価値? いま、問い直すとき

かつて企業経営の評価軸は、いかに効率的かつ柔軟に収益をあげ、競争市場において優位に立てるかという「経済価値」の創出に集中していました。これらは、業務プロセスの最適化やコスト削減、新規事業の立ち上げ、顧客体験の向上といった活動によって実現されてきました。

しかし、近年の環境変化や社会的要請の高まりを背景に、企業に求められる価値の範囲(図1を参照)は大きく拡張しています。レジリエンスの強化や人間中心の働き方、サステナビリティ、そして説明責任を伴うガバナンスといった「社会的価値」への期待が急速に高まっており、企業活動は単なる経済合理性の追求を超えた次元で再定義を迫られています。

企業に求められる価値範囲の広がり
図1: 企業に求められる価値範囲の広がり

経済価値と社会価値はトレードオフではない

従来、経済価値と社会価値はしばしば対立的に捉えられてきました。「社会貢献を目指すあまり、経済的な競争力が損なわれるのではないか」という懸念が、現場の経営判断を曇らせてきました。しかしこの前提は、すでに現実と乖離し始めています。むしろ、社会的価値の創出こそが中長期の競争優位性を支える土台となる時代に入っています。

近年のグローバル経営においては、ESG投資が主流化し、規制当局や市民社会からの「説明責任」や「信頼性」への要求が高まっています。さらに、ステークホルダー重視経営(Stakeholder Capitalism)の台頭は、「社会価値を無視した経済的成果は持続しない」という前提を、多くの企業に突きつけています。

AI変革がもたらす統合価値の実現可能性

ここで重要なのが、AI変革がこの二つの価値(経済+社会)を橋渡しし、「統合された価値」を創出する可能性です。AI変革とは、単なるAIの技術導入にとどまらず、経営戦略、組織、人材、データのあり方に至るまで、企業全体を横断的に変革するプロセスです。

たとえば、生成AIやAIエージェントは、業務の効率化や新たな事業創出に資するだけでなく、以下のような社会的価値の創出にも寄与しています。
・レジリエンスの強化:予測AIによるリスクマネジメント、BCP強化
・人間中心性の実現:従業員サポート型AIの導入による働き方改革と心理的安全性の向上
・サステナビリティの推進:サプライチェーンや排出量のリアルタイム可視化
・ガバナンスの強化:AIによる意思決定プロセスの透明化と説明責任の担保

3.AI変革とネットポジティブ経営の統合戦略

これまで「AI変革」と「ネットポジティブ経営」は別々に語られてきましたが、今やその分けて考える時代は終わり、両者を統合し相乗効果を生むフェーズに入っています(表1参照)。

AI活用と社会的価値の相乗効果がもたらすネットポジティブ経営の構築
表1: AI活用と社会的価値の相乗効果がもたらすネットポジティブ経営の構築

この統合の最大の利点は、共通のAIインフラやデータ基盤の上で、両方の戦略を同時に進められることです。これにより、ネットポジティブ経営を実現するための追加投資を最小限に抑え、既存のAIインフラやデータ基盤を活用しながら、社会的価値を創出する新たなアプリケーションに移行できます。

具体的には、AI投資で既に整備されたシステムやツール、データ基盤を活用し、経済価値と社会価値を両立させることが可能です。新しいインフラを一から構築する必要はなく、既存の投資を効果的に活かすことで、両者の価値を同時に実現できます。

さらに、社会価値の創出はAI変革の導入を加速させ、結果として経済的リターンを生む可能性もあります。ネットポジティブ経営は、AI投資をさらに進化させる非常に戦略的なアプローチです。

統合価値戦略のアーク:価値の広がりをどう描くか

本稿では、この価値創出のあり方を、二軸モデルとして整理します。
すなわち、横軸に「経済価値 ↔ 社会価値」、縦軸に「内向き(業務・組織)↔ 外向き(市場・社会)」という2軸をとり、企業が創出するべき価値の地図(図2を参照)を可視化します。

企業が創出するべき価値の地図
図2: 企業が創出するべき価値の地図

この4象限において、「左下→右上」へのアークは、価値の「広がり」であると同時に、「統合」のストーリーでもあります。
つまり、従来の経済合理性を出発点にしつつ、人や組織、そして社会との関係性を再設計し、最終的には企業が「統合された価値」を持続的に生み出すエコシステムの一員となることが求められています。このアークをうまく切り抜けた企業は、社会の期待に沿うだけでなく、戦略的差別化の新たな層を切り開くことになります。

4.AI変革×ネットポジティブ経営への移行:経営者への3つの実践的提言

ネットポジティブ経営とAI変革の融合は、もはや理念ではなく、企業戦略の中核として再構築されるべきです。前述の各セッションで述べた誤解や構造的課題、統合価値戦略のコンセプトを踏まえた上で、ここでは、経営者が現実に取るべき行動フレームを3つの提言として提示します。

提言1|経営戦略の再定義:インテリジェント時代にふさわしい価値目標の再設定とAI変革プランの進化

現代の企業は、経済合理性だけでなく、環境効率や社会的インパクトといった多面的な価値創出を求められています。企業が目指すべき価値も、もはや経済価値にとどまらず、環境価値・社会価値を統合した“持続可能な価値”へと進化しています。

この変化に対応するには、企業は自らの「価値目標」を見直し、再定義・高度化していく必要があります。図2に示す通り、このプロセスは、従来の経済目標から、社会目標との融合へと至る「価値進化のジャーニー」でもあります。

さらに、AI技術の急速な進展により、私たちは「インテリジェント時代」へと突入しました。AIは企業活動を可視化し、インパクトや相互作用、経営成果の測定・最適化を可能にします。こうした時代において、企業は統合的な価値目標を実現するために、既存のAI活用プランを「AI変革プラン」へと進化させる必要があります。

提言2|指標の進化:「経済ROI」+「ネットポジティブROI」による統合KPIの再構築

企業経営の視点から見れば、提言1で述べた統合的価値は、理念やスローガンにとどまらず、「測定可能」であることが不可欠です。そのためには、経済的ROIとネットポジティブROIを統合した、複眼的かつ実行可能なKPIの設計が必要になります。

ネットポジティブROIは、人的資本、ブランド信頼度、社会的インパクトといった非財務的要素を含む多次元の成果指標です。これらを経済ROIと組み合わせて定量・定性の両側面から可視化することで、意思決定の精度と透明性が飛躍的に高まります。

従来の財務KPI(売上高、利益率、ROEなど)に加えて、第3セクションで紹介した「社会価値(S)」の4要素——人間中心性、レジリエンス、サステナビリティ、ガバナンス——を測定対象に組み込むことが、次世代の価値創出には不可欠です。

これらの非財務領域をKPIに落とし込むことによって、ネットポジティブROIの実効性が担保され、企業全体の価値評価のあり方も進化します(表2参照)。

「社会価値(S)」の4要素 × KPI(例) × AI変革との関連性
表2: 「社会価値(S)」の4要素 × KPI(例) × AI変革との関連性

提言3|アーキテクチャの構築:経済価値と社会価値を同時に実現するAI基盤の整備

第3セクションで示した通り、本稿が提案する統合戦略の大きな強みは、AIなどのデジタル基盤を活用することで、経済的価値と社会的価値を「トレードオフ」ではなく、低コストかつ同時に実現可能なものとして捉えられる点にあります。

具体的には、クラウドサービス、AIモデル、データ基盤(データレイク、データウェアハウス(DWH)、検索拡張生成(RAG)など)を中核とした全社横断的な「価値創出アーキテクチャ」(図3参照)を構築することで、AI変革とネットポジティブ経営を共に支える共通のデジタル基盤を形成します。この基盤は、ネットポジティブ経営の推進に必要なアプリケーション投資に限定的に資源を集中できるため、社会価値の実現に向けたコスト効率の高い運用が期待されます。

統合された価値を実現するデジタル共通基盤とアプリケーションプールの概念図​
図3: 統合された価値を実現するデジタル共通基盤とアプリケーションプールの概念図

さらに、社会的価値の創出がAI活用を一層促進し、結果として経済的リターンを押し上げる好循環を生む可能性があります。こうしたアプローチは、企業のボトムライン(生産性向上)とトップライン(収益成長)の双方を強化し、中長期的な競争優位の源泉として機能することが見込まれます。

締め|新たな経営への移行に向けて

これらの提言は、単なる理想論ではありません。テクノロジーと変化し続ける社会的要請が交差する中で導き出された、現実的で実行可能な道筋です。

いま経営者に求められているのは、静かな覚悟をもって自問することかもしれません。
「我が社は、社会にとって本当にネットポジティブな存在だろうか?」

未来へと持続的に歩み続ける企業とは、この問いから目を背けることなく、先を見据えて問い続ける力と勇気を持った企業なのです。

まずは、自社のネットポジティブ成熟度をチェックしてみませんか?

意識と取り組みレベルを見える化しましょう

Are you Net Positive ready?
Are you Net Positive ready?