プロジェクト仕掛け人に聞く 「1. 富士通の原点がここにある」

プロジェクトの仕掛け人である富士通の飯田春幸経営執行役に、プロジェクトに寄せる思いを語ってもらった。

このプロジェクトを立ち上げたきっかけは何ですか?

富士通には製品の保守に携わるエンジニア(以下CE)がいるのですが、そのOBたちがボランティアで、富士通沼津工場(静岡県)に移設されたFACOM128Bの保守をやっていることを知りました。2006年のことです。それを富士通のプロジェクトとして、皆でやってみてはどうだろうか。流動的な時代だからこそ、富士通の持っているいろいろなDNAを継承していきたいと思ったのがきっかけです。富士通のDNAとは、例えば計算機(コンピュータ)の設計に対する思いとか、お客様のシステムを動かし続けるんだという思いです。
記録資料によると、OBたちがFACOM128Bの保守作業をやってきたのは、沼津工場に移設した1976年9月以来ということですから、実に30年以上前からということになります。今、あの機械を動かせるのは、世界中でこのプロジェクトの伝承者である3人しかいないでしょうね。だからこそ、現役のCEに伝えることが大切なのです。
FACOM128Bに加えて同時期製のFACOM138Aを稼働させ続けるOBたちの姿を通して、富士通の「モノづくりの心」「技術屋の心」の原点を伝えたい、というのがこのプロジェクトの大きなねらいです。

リレー式計算機を動かし続けてきたOBたち
リレー式計算機を動かし続けてきたOBたち

半世紀前に登場した世界最古級のリレー式計算機とはいったい、どんな機械なのですか?

FACOM128Bを使って、なんと初の国産旅客機YS11の尾翼設計を計算しました。
1940年代、真空管式とリレー式のコンピュータが開発されていました。戦後、コンピュータの国産化を富士通にあって力強く推し進めた技術者池田敏雄は、当時わが国で主流だった真空管式でなく、富士通が得意としていた電話交換機に用いられる「リレー」という部品を応用し、より高度化したリレーを使った開発を目指しました。理由は、当時の真空管の動作があまりにも不安定だったからです。そして国産初の実用リレー式計算機FACOM100を開発することに成功しました。富士通のコンピュータの生みの親が池田であり、その遺産がFACOM128BとFACOM138Aということになります。

木製のコンソール(操作卓)に光が走る。まさに指令塔といった趣である
木製のコンソール(操作卓)に光が走る。まさに指令塔といった趣である

世界最古級とはいっても、現代のコンピュータとまったく違う物ではありません。驚いたことに、現代の企業の基幹業務システム等に用いられている汎用大型コンピュータ(メインフレーム)の仕組みや考え方がすでに導入されていたのです。例えば、ある程度計算が進行した段階でエラーが出たとして、それを最初から計算し直すのでは大変な時間のロスになりますよね。それではいけないということで、エラーを検出したらすぐに停止して、少し前の段階まで戻って計算を再開するという仕組み、つまり「リトライ機能」をすでに組み込んでいたのです。こうしたことは、お客様が何を求めているかを、当時の開発者が考えていたからこそできること、つまり富士通のコンピュータ開発の基本にお客様本意の考え方があったのです。現在の富士通の技術開発思想のベースはすでにここに誕生していたといっていいでしょう。昨年から、世界最古級のコンピュータということでギネスブックに載せようとしていますし、日本の機械遺産への登録も申請中です。

FACOM128Bには約5000個が使われたというリレー
FACOM128Bには約5000個が使われたというリレー