早わかり富士通の歴史(年表)

1. はじめに通信ありき(1923~1949)

1923年

関東大震災で電話網が壊滅(当時の電話加入数は8.3万)

  • 発電機・電動機の国産化のため、古河電気工業株式会社と独シーメンス社が富士電機製造株式会社(現・富士電機株式会社)を設立

1925年

  • 富士電機、独シーメンス社製電話機とステップバイステップ自動交換機の輸入販売を開始

1927年

金融恐慌が発生

1929年

世界恐慌が発生

1931年

満州事変
逓信省が交換機の国産化を奨励

1932年

5.15事件

1933年

日本、国際連盟を脱退

1934年


  • 富士電機、ステップバイステップ自動交換機の逓信省指定製造所に認定

1935年

  • 富士電機の電話部所管業務(交換、伝送)を分離し、富士通信機製造株式会社(現・富士通株式会社)を設立(資本金300万円、従業員700名)
    シンボルマーク 1935年〜1961年の画像

    (シンボルマーク 1935年〜1961年)
    当時親会社であった富士電機製造(株)のマークを使用。
    富士電機製造(株)の社名の由来である古河の「f」とドイツのシーメンスの「S」を組み合わせたもの。

    戦前の電話機広告の画像

    戦前の電話機広告

1936年

2.26事件

  • 中国・華北通信局に300回線自動交換機を納入

1937年


  • 無装荷ケーブル搬送装置の認定を取得、逓信省指定製造所となる
  • 搬送装置第一号製品を南満州鉄道株式会社に納入

1938年

  • 新工場(現Fujitsu Technology Park)を竣工し、富士電機の川崎工場より移転
    竣工当時の富士通川崎工場(現在のFujitsu Technology Park)の画像

    川崎に新工場を竣工

1939年

第二次世界大戦が始まる

  • 無線分野に進出

1940年

  • 日本初の国産自動交換機「T形交換機」を逓信省に納入
  • 電力線搬送装置の生産を開始

1941年

太平洋戦争始まる

1942年

  • 電話機および通信機の量産のため、須坂工場を開設

1945年

電話加入数108万のうち半数が戦争で被災
広島および長崎に原子爆弾投下
第二次世界大戦が終結

  • 戦後の電話設備復旧に貢献するため、逓信院に対する大量の電話機の年内納入を決定
  • 当社製電話機、富士形3号電話機として逓信省が正式採用

1946年

電算機「ENIAC」がアメリカで完成

  • 東京出張所を販売機関として開設

1947年

新憲法施行

1949年

ドッジライン
為替レートが1ドル360円に
郵政省および電気通信省が発足
湯川秀樹、ノーベル賞を受賞

  • 東京証券取引所の再開と同時に新株式を上場