早わかり富士通の歴史(年表)
3. 「通信と電子の富士通」へ(1959~1969)
1959年
岩戸景気が始まる(~1961)
- 通信機器の量産のため、小山工場を開設
- パラメトロン式電子計算機「FACOM212」第1号機を日本電子工業振興協会へ納入
1960年
国民所得倍増計画、閣議で決定
カラーテレビ本放送の開始
- オープンループ制御方式の数値制御装置を日本で初めて完成
1961年
ソ連の「ボストーク1号」が人類初の宇宙飛行に成功
-
当社初のトランジスタ式大型事務用計算機「FACOM222」を完成、1号機を協栄開発センターへ納入
トランジスタ
1962年
-
シンボルマークを変更
(シンボルマーク 1962年〜1971年)
現社名「富士通」の名称を用いたシンボルマーク。
コンピュータの製造が本格的に始まり社内機構を改革し、「通信工業部」と「電子工業部」の二部制であったことから、「通信と電子の」というキャッチフレーズをマークの上に記載。 - 岡田完二郎社長、「限りなき発展」を提唱
- C-12MHz同軸搬送装置(2700ch、真空管方式) を電電公社に納入開始
1964年
東京オリンピック開催
- 日本初のデータ通信システム「FACOM323」を完成、日興証券株式会社に納入
1965年
いざなぎ景気が始まる(~1970)
- 「FACOM230-10」完成、当初5年間で1000台受注を達成し、国産ベストセラー機種に
- 「FACOM230データ通信システム」を労働省労働市場センターに納入
1966年
電子工業の年間生産高が1兆円を突破
- 川崎工場内でICの量産を開始
- 電子計算機の量産のため、長野工場を開設
- 高信頼性運動を開始
- PCM-24搬送装置の納入を開始
- 「FACOMトータリゼータシステム」を完成し、日本中央競馬会に納入
1967年
人口が1億人を突破
公害対策基本法の施行
- 「富士通株式会社」に商号を変更
- 初めての海外駐在員事務所をニューヨークに開設
- 音響機器と半導体部品の量産のため、会津工場を開設
1968年
電話加入数が1000万台を突破
GNPが米国に次ぎ世界第2位に
- 株式会社富士通研究所を設立
- 当社初の海外現地法人「富士通カリフォルニア」を設立
- 神戸工業株式会社を合併し、明石工場を開設
- 南多摩工場を開設
- 「FACOM230-60」発売、ベストセラー機に
-
「全国地銀オンラインシステム」が稼動
全国地銀オンラインシステム
- 第一銀行(現・みずほ銀行)にオンライン預金システムを納入
1969年
アメリカの「アポロ11号」が月面に着陸、人類が初めて月に立つ
- クロスバ交換機「C400」を台湾に輸出
- 日本初の海底中継器(CS-10M、900ch)を電電公社(室蘭~森)に納入
- マレーシアに多重無線通信網(2500km)を完成